『なぜ勉強させるのか?』 ― 2007年04月17日 17時58分20秒

副題:教育再生を根本から考える
諏訪哲二著
勉学に勤しもうという姿勢、意欲を見せない若者たちが何故今多いのか、またその事実にどう対処すれば良いのかという疑問は、本書を読んでも未だ解けません。
勉強は、社会で金儲けや成功するためにするのでは決してなく、社会に出たときに悩みながらも生き抜く知恵を得る手段だと今でも思ってはいます。
しかし、真剣、律儀、真面目、勤勉、尊敬、けじめ、恥といった言葉は今の日本社会には既に存在せず、TVや新聞を賑わしている辛くて情けない出来事にもだんだん慣らされてきている自分自身に怖さを覚えますし、この社会で“マトモに生きろ”と若者たちをどう説得していけば良いのでしょうか?
コメント
_ imno1 ― 2007年04月17日 22時59分19秒
_ マイペンラーイ2 ― 2007年04月17日 23時26分08秒
imno1さん、こんばんわ。
勿論、私も未だ諦めてはいないのですが。。。
でも、最近特に情けなく思うことがあまりにも多くて気持ちが萎えてしまいます。
今日も、アメリカや長崎で発砲事件があったりして、ホントに、、、、、、、、、
勿論、私も未だ諦めてはいないのですが。。。
でも、最近特に情けなく思うことがあまりにも多くて気持ちが萎えてしまいます。
今日も、アメリカや長崎で発砲事件があったりして、ホントに、、、、、、、、、
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そこにいっそ「マトモ」という言葉も付け加えた方がいいかも知れませんね。
人として社会に生きるならたとえ[勉強]などせずとも本来誰しも持ち合わせていたはずのそれらの事柄をいつのまにか皆忘れてしまった。
でもね、それらの言葉、探せばまだあるんです。
見つける事あるんですよ。すっごく稀ですけどね。
そんな時少し嬉しい。